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東京地方裁判所 昭和45年(ワ)2916号 判決 1972年9月14日

原告 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 石黒竹男

被告 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 児島平

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

一  当事者の求める裁判

(原告)

被告は原告に対し、別紙目録記載の建物(以下「本件建物」という。)を明渡せ。

訴訟費用は被告の負担とする。

仮執行の宣言

(被告)

主文同旨の判決

二  当事者の主張

(請求の原因)

(一)  本件建物は原告の所有であるが、被告が占有している。

(二)  よって、原告は、所有権に基づき、被告に対して本件建物の明渡を求める。

(答弁)

請求原因のうち、(一)は認めるが、(二)は争う。

(抗弁)

(一)1  原告(七六才)と被告(四九才)は母一人子一人の親子関係にあり、被告は昭和一八年二〇才ころから原告と本件建物に同居し、同三六年被告が三八才で再婚するまでは通常の親子として円満に暮らしてきたところ、被告が再婚するや、原告は掌中の玉ともいうべき被告をその妻に奪われたと思い込み、妻を憎み、妻から危害を加えられると甚だしい被害妄想におち入った。このため、被告夫婦は同三八年夏医師の診断を仰いだところ、老人性精神病と判定されたため、直ちに約二ヵ月、また、翌三九年一月から半年近く精神病院に入院させて治療を試みたが、効果はあがらず、退院後も同居生活が不可能なため、同三九年一〇月肩書地の老人ホームに入寮させた。

2  右入寮に際し、本件建物につき原、被告間において、期間は定めず、老人ホームの費用月額一八、〇〇〇円を被告が支払うほか、被告所有土地一六六六・二七平方米の地代全額(同四四年度の年額三七四、〇〇〇円)を原告に与え、本件建物とこれが敷地の固定資産税(同四四年度は二一、六三〇円)を被告が支払うことをもって賃料の支払にかえるという内容の賃貸借契約が黙示的に成立した。

(二)  被告が同一八年本件建物に原告と同居を始めた際、本件建物を被告の住居として使用し、期間は右使用の必要がなくなるまでという約定で、原、被告間に使用貸借契約が成立した。仮に右主張が認められないとしても、被告の妻に対する原告の態度が余りにもひどいため、同三七年夏ころ被告は本件建物から退去して別居を決意したところ、原告から親族を介して引き続き本件建物に居住して欲しい旨の懇請を受けたため、被告もこれに応じて同居を続けることとした。被告の右承諾により、本件建物につき原、被告間に前同様の内容による使用貸借契約が成立した。

(三)  原告は現在老人ホームに居住して住居に困っておらず、本件建物を他に処分する等の経済的理由もないところ、被告は前記のように同一八年から右建物に居住し、現在親子四人が生活を共にしており、他に居住すべき建物を所有しておらず、原告の本訴請求は、畢竟、憎い被告の妻を追い出すため、被告を苦しめることのみを目的とするもので、権利の濫用にあたるというべきである。

(抗弁に対する答弁)

(一)の1は、原、被告の身分関係、被告の再婚、原告が二度に亘って精神病院に入院し、昭和三九年一〇月以来老人ホームに入寮していることは認めるが、その余は否認する。原、被告の仲が被告の再婚を契機として悪化したことは事実であるが、これは被告とその妻が年老いた実母の原告を本件建物から追い出そうとした余りにも非人道的な暴挙に原因している。すなわち、被告は、原告になんら異状がないにもかかわらず、原告をだましあるいは無理矢理に精神病院に再度入院させ、また、同三九年七月原告に対し精神病を理由に準禁治産宣告を東京家庭裁判所に申立て、同年九月二二日これが宣告がなされたが、これも原告を追い出すための一環としてなされた。そして、原告は二度目の退院後自宅に帰ることもできず、老人ホームで一人淋しく過す破目におとし入れられている。

(一)の2は否認する。前記の事情からして、被告主張の賃貸借契約が成立するなどあろうはずがなく、また、被告主張の賃貸土地は、その所有名義のみは被告であるが実質は原告の所有で、従来も地代は原告が取得していた。

(二)は否認する。

(三)は争う。被告こそ前述のように悪質極まる非人道的手段で老母である原告を追い出し、苦しめているのである。

(再抗弁)

仮に原、被告間に使用貸借契約が成立したとしても、被告の前述した数々の非人道的な行為により、両者間の信頼関係は全く破壊されているから、本訴(昭和四七年二月一五日午后一時の口頭弁論期日)において、被告に対し契約を解除する旨の意思表示をした。

三 証拠関係≪省略≫

理由

一  原告所有の本件建物を被告が占有していることは当事者間に争いがない。

二  ≪証拠省略≫を綜合すると、次の事実が認定でき(る。)≪証拠判断省略≫

(一)  原告は明治二九年一月一日生れで、夫と大正一五年七月六日協議離婚し、以来大正一一年四月三〇日生れの一人息子である被告と二人切りで暮して女手一つで育てあげ、被告は日本大学工学部を卒業し現在会社役員の地位にあるが、後述する原告が老人ホームに入寮するまでは終始原告と生活を共にし、本件建物には昭和一八年建築当初以来同居してきた。被告は同三二年結婚したところ、原告は嫁に何かと辛く当り、果ては米を実家に運んでいるとまで云い出し、被告が原告に逆らわなかったため、半年ぐらいで離婚のやむなきに至った。次いで被告は同三六年四月七日現在の妻春子と再婚したところ、三、四か月経過するうちに、原告の春子に対する嫉妬心が再び表面化し、自分の衣類にしみをつけたとか、臭い魚を食べさせた、自分の部屋の天井にしみをつけた、その揚句はガス栓を開いて自分を殺そうとしたなどと、春子のみに被害妄想を抱くまでしてことごとに辛く当り、このため被告は、同三七年夏他にアパートを賃借して原告と別居しようとしたが、親戚が仲に入り、原告が今後は態度を改めるから是非一緒に生活して欲しい旨懇願したため、別居を思い止って同居生活を続けた。しかし、原告の春子に対する態度は一向改まらず、このため原告の精神状態を心配した被告は、原告を同三八年七月一八日から同年一〇月一六日まで国立東京第一病院に入院させ、診断病名である被害妄想を主徴とする老年精神病の治療を試みたが、なんら効果があがらず、自宅静養に切り替えたものの、春子に対する態度は一向に好転せず、やむなく、同三九年一月二七日再度三鷹市所在の新川病院に入院させて前記疾病の治療を求めたが、依然効果が皆無のため、同年一〇月六日退院させたうえ、肩書地の都営ホームに入寮させ、現在に至っている。

(二)  原、被告の家庭は、被告が初婚するまでは至極円満であり、初婚解消後再婚するまでもまた何の風波も立たなかったところ、再婚後は前述のような有様であり、原告の憎しみはもっぱら春子に向けられているものの、前記二度に亘る入院は被告が原告の嫌がるのを無理にさせたこと、および、原告が右入院を恨んで自分の財産を他人に処分しまいかと慮った被告が、原告に対し同三九年七月準禁治産宣告を東京家庭裁判所に申立て、同年九月二二日右宣告がなされたところ、同四二年一一月二〇日右宣告取消の裁判が確定したこと、並びに前記のように老人ホームに入寮させていること、以上の被告の言動等からして、被告に対してもひどい仕打ちをされているとのいきどおりを感じている。しかし、これがいきどおりは春子に対する憎しみなどに比ぶべきもない。

(三)  前記準禁治産宣告申立事件における鑑定書(昭和三九年八月二〇日作成)によると、「原告の精神状態は、確乎不動の被害妄想を主徴とした精神障害(妄想病)の常況にある。」と判定され、同宣告取消申立事件における鑑定書(昭和四一年八月一三日作成)によると、「原告は現在嫁に対する被害妄想を主とする妄想状態にあり、この妄想については訂正不可能で非常識な考えに支配され、正常な判断能力を失っている。」と判定されている。

原告は現在老人ホームの六畳一間の個室に居住し、テレビ、冷蔵庫も備え付けられ、寮費月額一八、二〇〇円(ただし昭和四四年度)は被告が負担しているが、自分の家(本件建物)があるからそこで生活し度い、しかし被告夫婦との同居は絶対駄目の一点張りで、同四十二、三年ごろ東京家庭裁判所に本件建物の明渡について調停を申立てた際も、一年半に亘る調停委員会の妥協案による説得に対して明渡を固執し、不調に終った。そして、本件建物は八畳一間、六畳三間、四畳半、三畳各一間のほか勝手、風呂があり、これが敷地も約九五坪で、老母が一人で生活するには広すぎ種々の不便が予想されるところ、原告は区役所からのホーム・ヘルパーと近隣の人々の援助で生活は十分できると考えている。

(四)  被告は、春子との間との二児(昭和三八年一月二二日生れと同四一年四月二九日生れ)を抱えて家族四人で本件建物に居住しているところ、春子は生来身体が余り丈夫でなく、最近は神経性頸椎症に罹って手足が自由に動かない状況にあり、本件建物以外に居住すべき建物を有していない。

三  右認定に即して被告の抗弁について判断する。

(一)  賃貸借契約の黙示的成立

以上の認定からして、原告が老人ホームに入寮する際被告主張のような賃貸借契約が成立したと認めることはとうていできず、≪証拠省略≫から認定できる、被告がその所有土地の地代を全額(昭和四四年度の年額三七四、二二〇円)を原告に与え、本件建物とこれが敷地の固定資産税を被告が支払っている事実を考慮しても、右結論に変りはなく、他に被告の主張を認めるべき証拠はない。

よって、右抗弁は理由がなく採用できない。

(二)  使用貸借契約の成立

以上の認定から明らかなように、被告が使用貸借契約が成立したと指摘する事項は、いずれも親子間の相互扶助と情誼で律すべき事項の域にとどまっているというべきであり、他に被告の主張を認めるべき証拠はない。

よって、右抗弁も理由がなく採用できない。

(三)  権利の濫用

原告は現在住居とか日常生活についてこれといった支障もなく生活しているところ、そうだといっても所詮は有料老人ホームでの生活であり、前述したような規模の本件建物を自宅として所有している以上、一刻も早く右建物に住みたい気持に駈られている心情は察するに余りあるといえよう。しかし、かような不自然な別居生活を強いられている原因は、あげて原告の春子に対する憎悪と被害妄想に起因し、しかもこれにつき春子に責めるべきなんらの落度も窺われないこと、原告がその希望するように本件建物で一人暮しを初めた場合、たちまち日常生活上種々の支障が生ずることは明らかであり、他方、被告は、かような不便な目に老母を一人でさらす反面、充分同居できる余裕のある本件建物を立退き、親子四人の居住すべき住居を他に物色せざるを得ない立場に追い込まれること、そして、前記鑑定書が指摘しているように、原告は春子に対する被害妄想に罹り、これが訂正が不可能であること、以上の諸点を考え合わせると、原告の本訴請求は、老母の嫁憎さが昂じた我儘な要求の面が強く、しかもこのため、原告を含めた被告家族五人の家庭生活に著しい支障をもたらすおそれが多分にあるから、結局、権利の濫用にあたると解するのほかない。

よって、被告の右抗弁は理由がある。

四  以上判断した次第により、原告の本訴請求は理由がないから棄却すべきであり、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 宮崎啓一)

<以下省略>

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